2002年3月
日本棋院公式サイトには、所属するプロ棋士の紹介ページがある。
そこには棋士の顔写真と囲碁関連のプロフィールが掲載されていた。
ここに一人の若いプロ棋士がいる。
名は塔矢アキラ。
弱冠15才であるがプロ入り三年目にして既に三段。
やがて四段どころか、来年にも行われる予定の昇段システムの変更によってもっと上位に昇段することが確実視されている、いわば囲碁界期待のホープであった。
その彼が、自宅のパソコンを憮然とした表情で眺めていた。
パソコンのモニターには、私立海王中学校の詰め襟制服に身を包んだ少年が、意志の強さを秘めた表情で映っている。
「いつまでこの写真を使うつもりなんだ、棋院は」
アキラは自分の棋士紹介ページを見て、文句を言っていた。
その顔だちは、モニターに映る写真よりかなり大人びている。
現在の彼の年齢は前述の通り15才。
写真を撮影したのは…プロ試験を受験時に提出した履歴書の物なので中学1年生…12才の時だ。
しかも入学式に撮影した写真の焼き増しだったので、現在の彼自身と比べて幼い事この上ない。
「せめて去年の本因坊リーグ入りした時の取材写真を使ってくれればいいのに」
そう言って溜息を一つ付くと、アキラはパソコンのマウスをクリックした。
モニターに別の棋士の紹介ページが現れる。
そこには彼と同い年の女流棋士が明るい笑顔で映っていた。
初段 進藤ヒカル(シンドウ ヒカル)
彼女はアキラのライバルだった。
区立葉瀬中学校のセーラー服がよく似合っている。
美少女と言ってよいだろう。
「進藤はこんなに可愛く映ってるのに…なんでボクはこんなコドモのままなんだ…!」
その数刻後、日本棋院の事務所に一通の電子メールが届いた。
「あれ?こんな時期に公式サイト更新ですか?」
棋院の事務所で、一人の職員がパソコンで公式サイトの更新を行っている。
どうやら棋士紹介のページらしい。
「誰かの昇段でもありましたっけ?」
若い女性職員が興味津々という感じで覗き込んだ。
「来年から昇段システムが変るって決まっただろう?
だから今のうちに昇段対象の棋士紹介の更新準備をしておこうと思ってさ
特に七段…」
モニターに表示された七段昇段予定棋士の数の多さに、職員は溜息を漏らした。
「あ〜そうでした。
三大タイトルのリーグ入りで七段、でしたっけ。
うわぁ、こんなにあるんですか。大変ですね〜」
「ま、これは準備だからな。
だけど『お客さんたち』も贔屓の棋士の紹介ページはマメに確認してくるからな。
『こないだの結果が載ってないぞ!』なんて文句はしょっちゅう言われてるよ。
さっきも『誰某の画像が古すぎ』なんてメールが来るし」
「そうですか〜本当に大変ですね。じゃあ、お先に失礼します」
更新準備の作業をねぎらいつつ、その若い職員は事務所を出ていった。
手伝いを頼まれて残業になるのを恐れてそそくさと去る。
一人になった職員は、七段昇段予定棋士一覧のファイルを閉じると、別のファイルを開いた。それは初段棋士のファイルである。
その中の一つを開くと、明るい笑顔の女流棋士の画像がモニターに現れた。
先刻、塔矢アキラが自宅のパソコンで眺めていた進藤ヒカルの紹介用画像である。
「…やっぱり彼女はこの画像にしておいてよかったな。
もっと女の子らしい格好で仕事に来てくれたらまた更新するのに…
中学校の制服も可愛いけど」
この職員は、進藤ヒカルの熱烈なファンだった。
「早く昇段してくれないかなぁ
そしたら更新のついでにもっとカワイイ写真に変えるのに…待てよ
今年で彼女は中学校卒業なんだから、いつまでも学校の制服の写真じゃダメだろう
…よし!進藤クンの写真を雑誌部から借りて4月に更新だ♪」
更新作業はこの職員一人の手によってなされている。
彼の頭の中に、ヒカルと同い年で中学校制服姿なままの昇段予定棋士は、存在していなかった。
塔矢アキラはその年も昇段し、また翌年の2003年、更に七段に昇段した。
棋士紹介ページも更新され『弱冠14才で本因坊リーグ入り』『**戦本戦入り最年少記録』などと掲載された。
しかし使用される写真は以前のまま、更新されることはなかった…。
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初段 進藤 ヒカル (シンドウ ヒカル)
昭和61年9月20日生。東京都。平成13年入段。
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