髪の秘密


ヒカルの前髪は染めてるわけではないらしい


 イマドキの小学生だから髪の長いのも染めてるのもいる。
 しかし、前髪を金色に染めているのは珍しい。
 それとも生まれつき前髪だけ色素が薄いのか?
 進藤ヒカルは、実に印象的な頭をしていた。

 ボク、塔矢アキラが彼と知り合ったのは小学六年生の時だが、その髪に関して話したのは中学3年生の時、ボクに遅れること1年、進藤も囲碁のプロになってからだった。
 色々な出来事を経て、これまで疎遠だったのを埋め合わせるかのように、お互いの時間が合いさえすれば打ち合うようになっていた。

 そのうちにボク達は碁以外の話もするようになっていた。
 進藤はその人なつこい性格故に老若男女を問わず友人が多い。
 ボクにとっては貴重な同世代の友人だった。

 ある日の夕方。
 父の経営する碁会所で、ある高段位者による棋譜を進藤と検討し、それから雑談に興じていた。
「オマエと打つのも面白いけど、碁に関係ない話してるのも面白いよ」
「ボクなんかのどこが」
「とんでもないことするしさぁ。一昨年のこととか」
「またそれか。本当に記憶にないんだ。その日の事は」
「オッカシーやつ」
 ボクに言わせれば進藤の方が突拍子もない。囲碁のことなんか丸きり知らないでプロの世界に飛び込んできたり、いきなり休業したり。それで段位が低いままプロ入り一年目を終えようとしている。
「碁に精進してるだけだ、ボクは」
「そういや、塔矢はさ。オレの髪のコト言わないな」
 取り立てて興味があるわけでもなかったが、進藤が構わないのなら話題にするのにやぶさかではない。
「進藤の碁への興味の方が勝っていたからね」
「そうだな、お前には話しておいてもいいか、髪のことだけど」
 何故だか、彼から秘密を打ち明けられるのが嬉しいような気がした。
「院生仲間も知ってる奴は知ってることだし」
 ボクは彼等の後か!?

「オレの髪の毛、元々の色はこっちなの」
 進藤は金色の前髪を、爪の短くなった指先で摘んで引っ張った。
「で、後ろが染めてる方」
 あまりの意外さにボクは絶句した。この話のどこから突っ込めばいいのだろう。
「最初は普通に黒かったんだ。それが…お前に会う少し前だっけ、熱だして寝込んだことがあってさ、熱が引いたら、髪の色が薄くなってたんだ。言っておくが薄くなったのは色であって髪じゃないぞ?」
「そんなこと何も言ってないじゃないか」
「和谷がそう言ってからかうんだ」
 和谷は進藤と同期のプロだ。
 もう一人の同期の越智はそのプロ試験中に指導碁をしたこともあって知っているが、和谷に関する知識はあまりなかった。
 次に手合いで当たったら全力で打ち負かす決心をする。
「で、目立つもんだから適当な髪染めで黒くしてみた。そしたら身体に合わなかったらしくて、顔がかぶれた。医者や薬屋で相談してコドモでも使えるヤツ買ったけど、顔がかぶれるかもしれないと思うとコワくてさ。どうしても前髪が染められないんだよなぁ」
 高熱でメラニン色素を生産する細胞が変成したということか。どんな病気かは知らないが、さぞ、辛かったことだろう。
「思うんだが、進藤」
「なに」
「そういう事情なら、無理して染めなくてもいいんじゃないだろうか」
「無理してないって。今はむしろ楽しいから。人前には出ないけど、後ろ髪を黒以外に染めたりさ。塔矢も染めたかったら、貸すぜ?」
 進藤はボクが髪を染めたがってると思うのだろうか。それとも似合うとでも?
「ボクはいいよ。しかし、君はけっこう『おしゃれさん』だったんだな」

 また一つ、進藤の新しい一面を知らされた日だった。
 しかし、本当の衝撃はこの後だった。
「オレのなんかオシャレの範疇じゃないって。女流プロの桜野さんとかあかりとか、もっと化粧しっかりしてるし」
「どうして、」
 おしゃれの比較の対象が女性なんだ、と言おうとして、唐突にあることに思いついた。
「…化粧しないのは持ってないから?」
「ああ。最近、母さんが買えってウルサイんだ。週刊囲碁見てさ、載ってる他のプロがきちんと化粧して写ってたりするから」

 間違いない。進藤ヒカルは、女の子だ。




佐為の思い残し